親愛的,答應我,要一直微笑
...即使我們已遍體鱗傷
只要還有能彼此擁抱的雙手...
...即使我們已遍體鱗傷
只要還有能彼此擁抱的雙手...
看不懂呢...都是日文的...
等...等翻译!OTL
「ラッキードッグ1」ジュリオ誕生日ショートストーリー
『Radiant Two 1』
2010.02.15~2010.02.22
「――すこし冷えてきたかな。寒いか、ジュリオ」
「いえ、俺は……あ……ヒーターの温度を、上げてきます」
ジュリオは、ぬるくなったココアのカップを包んでいた手を離し、席を立つ。
俺は、それにつられるようにしていっしょに立ち上がり、キッチンへ――
しゅわしゅわと湯気を立てている電気式のポットから、だいぶ出がらし風味になってき
た紅茶のポットに凶暴な熱さの熱湯を注ぐ。
「26度に、しました。……すぐ、暖かくなります、たぶん」
「サンキュー。いやあ、冬になるとボイラーつき住宅のありがたみが身に染みるよな」
ジュリオは、何故か少し困ったような顔で笑い、そして――
「――…………」
数歩、歩いて、大きなガラス窓のほうに鋭い視線を向ける。
そこは……。
「……雪が、やんだようです」
「そっか。昨晩は、一晩中吹雪いたからな。デイバンの空気もだいぶ清潔になったろ」
俺は、まだ窓の外に番犬のような目を向けているジュリオを見……。
「異常なし?」
「あ……はい。……あ、でも、まだ、だめです。ジャンさんは、窓辺には近づかないで」
「わーってる。遠くから、パン!で脳みそふっとばされたくねーし」
「……すみません。『ここ』を狙撃できる位置の建物は、全部、部下に洗わせていますが
……それでも、昨日のことがありますから。警戒を……」
「そうだな。――でも、ここなら安心、だろ?」
俺は、熱々の紅茶ポットをテーブルに置き――
「ふああああ。二度寝したのにまだ、眠い」
ブカブカのパジャマを着て、さらにその上におばちゃんが着るようなキルトのもこもこ
部屋着を引っ掛けた身体で――首をコキコキならし、伸びをする。
「……もう少し、おやすみになりますか。……しばらく、ここは動けませんし……」
「……そうだなあ。…………しっかし、なんつーか」
「はい」
ジュリオが窓をもう一度、見て……振り返る。
そのジュリオの格好も、俺とたいして変わらない。ただ違うのは、パジャマが自分用な
んで、彼のを借りている俺と違って、寝間着姿でもぴしっとハンサムだ。
「……平和だなァ。……昨日のあれは、なんだったんだろな……」
「わかりません……。ですが、撃たれたのは、確かです。……市街の掃除と、護衛の配置
がおわるまでは、ここに……」
そこまで言って、ジュリオは――雨の中の犬みたいな顔で、うつむく。
「……すみません、俺の独断で、ジャンさんを――」
「いや」
俺は、ゆっくりぶかぶかフカフカのスリッパを滑らせ――
「なんか、久しぶりのオフ、って感じだ。……逆にアリガトな、ジュリオ。俺、いますっ
げえくつろいでるわ。ほらほら」
俺は、自分のツラの……眉間のあたりを、指でつつく。
「鏡見なくてもわかるぜ。このヘンにあった困りシワが無くなってらあ」
「……ふ、フ……あ、すみません……でも、はい……。いい、です。きれいな、顔です」
「ほめても何にもでねえって。……さて、なんか小腹へったな」
俺は――
この見慣れぬ部屋を横断し――
……いや、見慣れた部屋だったが、記憶から忘れようとしていた部屋を横断し、再び、
キッチンと冷蔵庫の方にスリッパを滑らせる。
ジュリオの、部屋。
ジュリオのアジト。
ジュリオと、最初に――……なんというか、クソ、言葉に出すと未だに照れる。
ジュリオと、最初にセック…………あー、最初のあれはノーカン。
ジュリオと、抱き合った部屋だ。
ジュリオと、何度かいっしょの時間を過ごした、このアパートの、部屋。
もう、戻ることはないと思ってた、部屋。
「……3時か。メシにはビミョーすぎる時間だな。さて……」
俺は、紙の包みや瓶が整然と並ぶ冷蔵庫の中の暗がりに、目を細め…………。
「なんだったんだろな、あれ――」
つい、20時間ほど前のことを思い出していた。
◆
「――……東海岸はほぼ全域が大型の寒波に覆われており、これは観測史上……」
車のラジオから、6時間前と同じ内容の天気予報が流れていた。
「……雪が降りますね。夜になったら」
運転席の部下が、フロントガラスの向こう、陰鬱な冬の夕暮れ空をちらと見上げて言う。
俺は、後部座席でじっと座ったまま、目だけを動かして前方の車のテールライトを――
そしてバックミラーに映る、黒いフォードの車影を確認した。
異常は、ない。
この車列に異常は、無い。このピアース・アローの後ろに居る2台、そして目の前を走
るフォードは、味方だ。俺と同じ――CR:5の車。中に護衛の兵隊が乗った車両。
今、ここからは見えないが――前方で、この車列に守られて進むリムジン、それに乗っ
ている俺たちのボス、CR:5二代目カポを……ジャンさんが、そこにいる。
「……夜までには着く。本部で、タイヤチェーンをつけておけ」
「わかりました。隊長」
俺の言葉に、運転手と、その横に乗せてある俺の私兵が小さく頷き返事をする。
「若様……、あ、っ……申し訳ありません、旦那様。本日は、どちらにお戻りに」
俺の呼び方を間違た女の私兵が、血の気の失せた顔をフロントガラスに映していた。
「本部に、カポをお送りしたら――今日は、屋敷だ。することがある」
「了解です」
――昔からボンドーネ家に仕えている兵隊は、いまでも俺の呼び名を間違える。
――俺もそれを咎めたり罰したりする気はない。面倒だ。
――そもそも、俺は……ジュリオ・ボンドーネ、となった、この俺の名前が嫌いだ。
――祖父だった男が残した、ボンドーネの家と名前、金。俺には邪魔だった。
「……俺には、なにも…………」
俺は、自分にしか聞こえない声でつぶやく。
俺はもう、ボンドーネ家の坊ちゃんではなく、ボンドーネ家当主だ。
もう……CR:5の幹部としては、無意味に金と地位を持ってしまった。
滑稽だ。
俺の欲しくないものばかりが、俺の周りに寄ってくる。
「――……マサチューセッツ湾沿岸は暴風雨と高波に厳重な注意……プリマス以南……」
ラジオが、このここデイバンの街と同じ脅威にさらされた土地への警報を流す。
……俺には、関係が無い。
金、地位、家柄。そして……幹部から、役員への昇格の、話。
財産を持ちすぎた俺が、組織の幹部位に居続けると――他の組織や、財務局、捜査局の
目を引いてしまう。それは、ジャンさんへの危険が大きくなる、ということだった。
だから――いったん組織を出て、役員としてCR:5の監察役になる……。
その決定は、いちばんまっとうな解決法だった。
俺も、ジャンさんも……それを、受け入れることを――
……納得、したのだろうか。
……だが、そうするしかなかった。
……ジャンさんは、立派なカポになった。
……もう、俺は必要ない。だったら、これ以上ジャンさんに迷惑をかけないよう……。
……また、俺は昔の俺に戻ればいい。
……ひとりで、生きればいい。あの頃とは違うのだから。生きられる。
……ジャンさんがくれた想い出があるから。ジャンさんが、この世界に居るなら。
「……俺は、それでいい――」
「……?」
今度は、声に出てしまっていた。運転手と私兵が、小さく目を動かして後部座席の俺を
気にしたのが見えた。
「――警戒を怠るな。GDは、絶対にまた仕掛けてくる」
「は、はい」
先日……GD側からの襲撃で、CR:5とGDの和平は決裂した。
CR:5からも情報が漏れていた。ほとんど護衛をつけずに移動していたジャンさんが
GDの暗殺者に狙われ、きわどいところで――俺が、間に合った。
あの事件以降、俺の役員昇進の話しは半ば凍結されていた。
GDの暗殺者に、あのショットガン使いに対抗できるのは俺しかいない。
「……護衛、失格か…………」
また、声に出ていた。前部座席の二人が、自分たちのことかと思ってぎょっとしていた。
――あの時……。
――やつを追わなくて、よかった。
ジャンさんの乗った車を襲ったショットガン使いを、俺は手負いのまま逃がしてしまっ
ていた。……あそこで仕留めなくて、よかった。
あそこでやつを仕留めていたら、俺はもう、ジャンさんのそばにいられなかっただろう。
ほかの刺客なら、兵隊どもに任せておけばいいからだ。
ジャンさんを、危険に晒すことでしか発揮出来ない、俺の……力……。
こんなものは力でも何でも無い。
今思うと――
祖父だったあの男が言っていたことは正しかったのかもしれない。
俺の持っているナイフや銃の腕など、無意味でくだらないものだ、と。
――だが、それがなくては……ジャンさんを守れなかった。
――だが、今は?
――ジャンさんが立派な二代目になり、敵よりも多い味方ができた今。
――装甲されたリムジンの中で優秀な兵隊に守られている、今は。
「………………」
不意に――
快感の記憶が、痛みのように再生される。
尾てい骨のあたりから、脊椎を貫いて脳幹の中で記憶と一緒に火花を散らす記憶。
ジャンさんと、一緒に居た時の――
今でも、夢か、よくできた妄想なんじゃないかと思うことがある。
――二人で、居た時の記憶。
――笑い、俺のことを見つめる目。そっと撫でる、指。
――重なった肌と、ジャンさんの匂い。くすくす笑う声と、痛みを我慢する吐息。
――そこで、何も考えられず飢えていた、俺……。
「……ジャンさん…………」
声にならないつぶやき。
ジャンさんが、俺のことをどう思っているのか――
わからない。
何度も、俺のことを好きだと言ってくれたジャンさん。
俺も、それに答えた。
離れ離れになっても、必ずジャンさんを守ると、俺は誓った。
だが…………。
ジャンさんは、いまでも……そう、思っていてくれるだろうか……。
――聞くことなんて出来ない。答えがなんであれ、知るのはきっと、恐ろしい。
――ジャンさんは優しいから、その答えは…………。
「――……NY市長は今回の寒波に対して、市民と各省庁に注意を…………」
雪が降るのだろう。
車の外から響いてくる街の騒音は、いつもよりクリアで、ラジオの音をぶれさせる。
だが、問題ない。
ジャンさんは、むこう1週間は本部から動けない。NYとフィラデルフィアから、連合
の客人を交えての会議があるからだ。
おそらく、そこで…………。
あの襲撃以来、棚上げになっていた俺の殊遇も決まる。
――その前に、ボンドーネの資産や現状を整理し把握しておく必要がある。
――むこう1週間は、会うことは出来ない。
――もしかすると、この先………………。
「その方が、いいの……ですか…………」
俺は、自分の中だけでつぶやいた。
「…………?」
ふと――違和感が、きた。
「なんだ……」
なんだろう。初めて感じる、何か。体中の表皮がチリと逆毛たつような、何か。
殺気や視線ではない。
無機質な、違和感。兵隊に注意しようとした俺の耳に、
「――……本日のNY株式市……は……堅…………g……G G G G…………」
ラジオが、退屈なニュースの代わりに耳障りなノイズをうめきだす。
舌打ちした運転手が、チューニングのダイヤルを回すと――
G G G G…… ガ…… ZZZ Z……G…………
聞いたことの無い、耳障りな静電が車の中を駆けまわった。
「もう消しな。アンテナが壊れたんだ」
私兵が運転手を鋭く叱咤した、そのとき。
『――……次のナンバーは、冬の寒さも吹っ飛ばすホットな新曲。サーフィンボー……』
……!?
俺も、兵隊たちも――ラジオから流れてきた音に、あまりに異質な、能天気で陽気な声
と音楽に、一瞬、我が耳を疑っていた。
『――……首都のあたりは大雪だそうですね。常夏の我々には、雪なんてカクテル……』
「な、なんだ……? どこの放送だ、クソ」
聞いたことの無いアナウンサーの声、そして……常夏…………。
ダイヤルが回されると、そこにスペイン語らしき声や音楽も混じる。
「うそ、なんで……。これ、フロリダとかバハマの放送でしょ」
「どうなってんだ……入る訳ないだろ、そんなところの放送……」
前部座席で、戸惑う部下の声が――
俺は、
「……!! ――カポのところに行く、車を守れ」
それだけ命令し、ドアを開けてそのまま――市街の闇の中に、飛んだ。
「隊長!?」
――いつもと変わらない、デイバンの渋滞、混雑の騒音。
俺は、渋滞の中をのろのろと進む車列を、追って走った。
◆
「――ふう……」
道路は渋滞しているみたいだったが、時間に余裕はある。問題なく到着できる。
本部についたら、お客人を迎える支度をして、そのあと楽しい夕食会。そのあと、軽く
酒と葉巻で、明日からの会議の打ち合わせと根回し。
「……ハハ、1週間はガムも買いに行けねーなこりゃ」
だが、今回は本部にアレッサンドロ親父と、カヴァッリ顧問がいてくれる。
俺は――
CR:5二代目カポ、ラッキードッグ・ジャンカルロは、今回はただの愛玩犬と同じで
お行儀よく座っているだけでいい。
もっとも……GDが和平条約にタン吐きつけて踏みつぶしてくれてからは、俺も、ひと
りで街に出るなんていうのはすっかり夢物語になっちまった。
「昔は……」
まだチンピラだったころ――デイバンの街を、ポケットに小銭だけチャラつかせてガム
ふくらませながら歩いていた――それがたった2年ちょい前。
もう、俺は別の生き物になっちまったみたいだ。
あまりにも変わりすぎて……他人事みたいだ。
夢見ているみたい、どころじゃない。他人の夢をのぞき見てるみたいだ。
しかし……。
「……それにしっかり順応してる俺って……すげえ? ……いや、してないか……」
誰も乗ってない、豪華なホテルのソファがこそこそ逃げ出すようなこの後部座席で、
俺はぼんやり、窓の外を――防弾ガラスは黒服どもの壁のように、外の光も音も遮って、
何も見せてはくれない。
そこに映っているのは、コンプレートを着たおなじみのマヌケ面。俺。
「変わったの、服だけにみえるんだがナァ……」
冷蔵庫から炭酸水を出そうとして、やめる。煙草に火をつけようとして、やめる。
なんだかぐったりして、息をするのも面倒な気分。
ふと……このリムジンを守る車列のどこかで、たぶん、俺とは違ってピリピリに警戒し
ているであろうジュリオのことを、思い出した。
「……ジュリオ…………」
俺に――
今の俺に、何がしてやれるだろう。あいつに、何をしてやれるだろうか。
二代目になって、偉くなったはずなのに……俺は、逆に、あいつに何もしてやれない。
――昔のように、二人で下町を歩いたり……。
――二人で、銃弾が跳ね回る中、命を張ったバクチをしたり……。
――二人で、汚い海岸を何するでもなく歩いて、写真をとったり……。
――二人で、サイドカーに乗って知らないルートを走って、野宿したり……。
――そして……。まさか。まさかだったが、あいつと文字通り、身体を……。
「……ッ…………」
じぃんと、座りすぎてシビれた足に血がめぐるときのような――痛みに似た快感を、俺
の身体と意識が思い出して――俺は、暖房がきいた後部座席で、熱と、愚かさでにごった
息を吐いた。
ケツのあたりと首筋に、あいつの手指が触ったようなもどかしさが、走る。
小便を我慢しすぎたような、鈍い痛みにも似た…………腹の奥の、感覚。
「……くそ、あンの童貞野郎、すっかりヒトの身体にあとつけやがって……」
しかし…………。
それも、もう終わってしまう話なのかもしれない。
――おそらく、今回の会議でジュリオの役員昇進の話しが、そしてそのまま役員会の重
役ポストに移籍させるハナシが、決まる。
そうしたら、俺たちは、もう…………。
「……なぁーんにも、してやれなかったな…………」
ジュリオの移籍の話が出たあと、俺は……ジュリオと一緒に居たい、というでかい声で
言えない理由で、それに反対し――そして、押し切られかけていた。
偶然、そのときにGDの和平破棄と襲撃があったせいで、移籍の話は有耶無耶になって
いたが、そろそろ限界だ。
これ以上、ボンドーネ家の当主を、ジュリオ・ボンドーネを幹部位のまま組織に置いて
おけば、それは組織の――そして、ジュリオ自身の破滅に繋がる。
「……変わってっちまう、のか…………仕方ねえのか…………」
人間が、どんなやつでも絶対死ぬように……。
こういうカンケイも、いわゆる「LOVE」ってやつも、いつかは終わるのか……。
俺があいつに何もしてやれないみたいに、その流れに逆らうのは、無意味なのか……。
だったら――
きれいにこのまま、あいつがベストでいられるようにしてやるのが……。
「ボスの使命かもな」
俺は、防弾ガラスに映ったマヌケ野郎に語りかける。そいつも、俺と同じことを言って
俺の意見を肯定する。
あいつも、俺も……組織や家柄を背負って立つ、男だ。
もう、自分と、相手のためだけには生きられない――背負うものが、ある。
だから……もう…………。
「ジュリオ……」
あいつは、俺を好きだと言ってくれた。
ずっと俺を守ると、約束してくれた。
何があっても、どれだけ世界が変わっても――俺も、そう思っている。
本当だったら、世界で一番デカいスピーカーとラジオを作って、世界中にそう叫びたい。
だが……できない。するわけにはいかない、関係。
――離れ離れになっても、ずっと。
言葉には、した。
それを、この先どんなことがあってもかわらないと、馬鹿なあいつに、そしてもっとも
っと馬鹿野郎の俺に、わからせてやりたい。
……どうすればいい……?
「どうすりゃいいんだろうな……」
俺は、シガーケースを開けて、喫いたくもない煙草をつまみ出した。
据付の銀製のライターを手の中で回し、蓋を――
そのときだった。
……Z Z Z …………Hiiiiiiiiii I I I I I I
「な……」
首筋がチリ、としたその瞬間、
ドガン!! と世界がひっくり返った。
「う、うわ!? ……な、なん――」
ガギイイイ!! と、金属が引き避け粉々になる音、リムジンの巨体が震えてエンジン
が悲鳴をあげる音が――その中で、俺はワケもわからず叫んでいた。
「くそっ、襲撃…………!?」
一瞬で、車内灯が消えて世界は闇に覆われた。
その中で、リムジンが何かに衝突した音と、衝撃が俺を打ちのめす。
「ぐ……! く、くっ……!!」
先回の襲撃で、「普通」の装甲キャディラックが紙みたいにぶっ壊された教訓を受け、
こっちのリムジンには追加の装甲と防弾ガラスを増設していた……はずだった。
なのに……おそらく、たったの一発で――
「クソ、銃……」
後部座席のホルダーに、拳銃と手榴弾があるはずだったが……この暗闇では、上も下も
わからなかった。ただ、エンジンとギアがイカれたリムジンの機械悲鳴だけが、焼けた鉄
の悪臭が充満する闇の中で響いて――俺をパニクらせていた。
――車列に居たはずの護衛たちは、どうした……!? クソ……!?
「ぐ……う、うわ……ジュリ、おおおお!!」
俺は――ガキが泣くように、その名前を何も考えずに叫んでいた。
その名を叫び、肺の空気を絞り出したとき
「――!!」
「……ヒッ、い……!?」
一瞬、閃光で視界が塞がれ、口から情けない悲鳴が漏れてしまった。
そこに、
「……ジャン!! ……ジャンさん!!!!」
声が、した。鋭い切っ先のような、それでいて泣きそうなその声は――
「……ジュリオ……!?」
ようやく、俺の目玉が光に慣れた。俺を襲った閃光は、前部座席とこの功績を仕切って
いる隔壁、そこにある窓のスリットが開けられて飛び込んできたヘッドライトの光だった。
「ジュリオ……!!」
そのスリットのむこうに……車内隔壁の防弾ガラスの向こうに、ジュリオの顔があった。
「……!! ジャン、さん……!! ケガは……!?」
ガラスの下にあるスリットから、ジュリオの泣き出しそうな声が響いてくる。
「あ、ああ。……たぶん……なんともねえ。……GDか!?」
「――わかりません……。ですが、狙われました――動かないで、ジャンさん」
「……狙われ、た……? なんに!? あのキチガイヤンキーか!?」
「……すみま、せん、わかりません……。ですが、この装甲車を、一撃で…………」
漏れ聞こえてくるジュリオのつぶやきに、カミソリの刃を立てたような鋭い静かさが混
じり初めていた。
ガラス越しに見えるジュリオは、見慣れない形の銃を手に、開け放たれたドアの向こう
側に猟犬の目を――何度も見た、マッドドッグの眼光を向けていた。
「……。……ジュリオ、この車は動かせないのか?」
「……すみません、運転手が……破片で、腕をやられています。すぐに、ほかの兵隊が来
ます、大丈夫、ですジャンさん……!」
「て、敵は……?」
「……は、い……。……おかしい、来ない――狙撃、か…………?」
漏れて聞こえる騒音は、幹線道路でいきなり停止した大型リムジンと車列、それを取り
巻く渋滞からのクラクションだけだった。
銃声は、しない……??
「……!! おい、ジャン!! 生きてっか!?」
そこに、聞き覚えのある罵声が――そいつの姿より先に飛び込んできた。
「イヴァン、か!?」
「おう!! このリムジンは駄目だ、グリルから煙吹いてる!! 俺の車にこい!!」
「あ……あ、ああ――」
そうだった。このリムジンを護衛する車列の先頭は、イヴァンのメルセデスだった。
まだ衝撃で頭がグラグラしている。
俺がイヴァンのことを思い出すのと同時に、防弾ガラスの仕切りに、イヴァンが顔を貼
り付けるようにして叫んだ。
「早く!! 道は兵隊が固めてる!! 早く出ろって! その車、外からじゃドアが開け
らんねーんだよ!! はやくロックはずせ!!」
「あ、ああ……。……く、そ……!!」
俺は、後部座席ドアのレバーに手を伸ばし、衝撃でボケた頭で、必死になってドアロッ
クを解除する。
ガション、と鋼鉄の顎が開く音がするのと同時に、
「ジャンさん!!」
ドアが開くのと同時に、俺の身体は風で吸い出されるティッシュのように冷たい暗闇の
中に転がり――そして、
「……ご無事、でしたか……!!」
まだぼうっとしている俺は、コンプレートのスラックスを台無しにしながら、びしゃび
しゃに濡れた車道にうずくまっていた。
――その俺の身体に、ジュリオの身体が世界と遮断するように――弾除けになって、覆
いかぶさっていた。
ひどく上の方に見えるジュリオの顔が――マッドドッグの顔が、銃弾すら見切るその目
が、湿った夜闇の中に鋭く走って……。
「ジュリオ……?」
「……大丈夫、です。もう……すみま、せん、ジャンさん……また、あなたを――」
「……ハハ、おまえのせいじゃねーって。……しっかし、なんだ……? なにがあった」
「わかりません。……リムジンが撃たれて――それ、だけです……」
「……?? 一発外して、あきらめたか……?」
そこに、地響きのように低いエンジン音をうならせながら――白い巨体が滑ってくる。
「――乗れ!! とにかくここからずらかるぞ!!」
蜂のように警戒し、右往左往する兵隊たちをかき分けるようにしてメルセデスをバック
させてきたイヴァンが、運転席から首を突き出し叫ぶ。
「……わかった!! ……く……ジュリオ、肩、すまねえ……」
「は、はい……!」
俺はジュリオに支えられ、よろめいて進み――兵隊が開けた、メルセデスの後部ドアに
転がり込んだ。まっさらな革のシートを泥水で汚しながら、俺はもがき、
「ジュリ……あ……」
ジュリオは、メルセデスの助手席に――助手席ドアのフレームを抱えるようにして、車
の側面にへばりつき――叫ぶ。
「イヴァン、出してくれ!!」
「おう……!!」
内臓ごとシェイクするようにして、メルセデスのエンジンが咆哮する。
ギアがなめらかに飲み込まれる音がして、白い巨体は歩道をまたぎながらゆっくり滑り
出した。
「ちっと飛ばすぞ!! ちんたらしてるとまた狙い撃ちだ!!」
イヴァンがギアを上げ、叫ぶ。その声に俺が答えるより早く、
「……本部は、駄目だ!! 途中待ち伏せされていたら、危険だ!!」
荒乗りするカウボーイのようにドアにへばりつき、全周を警戒しているジュリオが低く、
銃弾のような声でイヴァンに言った。
「な……!? チッ、確かにな!! どうする、他に――」
「俺の言うとおり走れ!! 頼む、イヴァン!!」
再び走った、ジュリオの声に――イヴァンがハンドルを叩き、叫び、
「くそったれええ!! ――わかった、次の交差点はどっちだボケがあ!?」
「左だ、その通りをダウンタウンまで走らせろ!!」
「な……ジュリオ――」
本部や、ホテルのある地区とは真逆の方向――
そちらにメルセデスを向けさせたジュリオは、疾風の中でコートをなびかせ……。
「…………」
何かの不吉な悪魔のように、暗闇の中、無機質に光る眼でどこかを見ていた。
◆
「――……東海岸を襲った寒波は、カナダの高気圧に押されて南下を…………」
部屋のラジオが、もう5、6回は聞いた予報を繰り返していた。
「雪は打ち止めか。明日には晴れるかな」
「……はい。そうしたら――本部から、迎えを……呼べます」
「そうだな……」
俺は、粉末ミルクと砂糖の味しかしない紅茶らしきものをすすり……。
「――さっきの電話、ベルナルド、なんて言ってた?」
「はい……とくに、叱責はされませんでした。いい判断だったと――」
「そっか。まあ、この部屋は……GDのヤツらも知らねえだろうし、それに」
コンコン、と俺はテーブルを小突いてジュリオにニヤリ歯を見せ笑う。
「マヌケがここ襲撃しても、葬式屋よべないような身体にされるのがオチだからなあ。
トゲと罠だらけの、マッドドッグの巣だ」
「……はい。ここでしたら――建物ごと爆破されない限りは、ジャンさんを、守れます」
「でも、窓の外見るのはアウトか」
「はい……。すみません、狙撃手を使われる危険は、もっと早くから察知して対策を講じ
ておく、べきでした」
「ま、最初の一発目であたまパーンされなくてラッキーだったな。……しっかしなあ」
俺も、おそらくジュリオも「あのとき」の光景を思い出していた。
襲撃の教訓から、もうハイウェイが走れないくらいの重装甲にしておいたリムジンが、
ただの一発で仕留められ、スクラップにされていた。
側面よりは薄いとはいえ、フロントのエンジンカバーが一撃で破られていた。
おそらく、ビルの屋上から撃ったのだろうが……。
もしあれが、エンジンではなく、キャビンの天蓋に当たっていたら――
「おっかねえなあ。……あれが、噂に聞く対戦車ライフルってやつかもな。こえー」
「……そうかもしれません。ですが……あんなもの、持ち歩けるはずが無い……」
ジュリオは、俺と同じ紅茶風味のお湯で、そのカップで手を温めながらつぶやく。
「そんなにでかいのか、その対戦車ライフルってのは」
「モノにもよりますが……ご覧になってみますか」
「あるのかよ」
床を見たジュリオに――床の隠し倉庫を見たジュリオに、俺はコミックの尻蹴飛ばされ
担当のようなツラをして笑う。
「……マジで、軍隊来ても追い払えそうだな」
「努力します……」
「そんなコトにならないように努力します、カポとして」
俺たちはクスクスと……危険物と爆発物がたっぷり詰まった、隠し倉庫の床の上で笑う。
昨日――
イヴァンのメルセデスで、このダウンタウンに滑り込んで。
イヴァンと、ジュリオに護衛されて、このジュリオの隠れ家に入って。
そして……電話は危険なので、イヴァンが現状を報告するため、本部に飛んで。
そして……。
俺は、街路で転んで、汚れていたスーツを脱いで――そして…………。
――言葉は、なかった。
――俺も、ジュリオも、何も言わず……お互いの名前すら呼ばなかった。
――ただ……。怯えていた俺は、ジュリオにすがりついていた。
――ジュリオも、何かに怯えるような手と、目で、俺を包んでいた。
そして…………。
そのまま。最初は、この床の上で俺たちは服を脱ぎ捨て、抱き合っていた。
俺は、犬に踏みつけにされた獣のように、ジュリオに貫かれ……そのあと、ジュリオの
大きな身体を引きずり倒すようにして、身体が冷えるのも構わず、床の上で抱き合い、転
がって、冷えるはずもない身体の汗と体液で、唾液で、床とお互いを汚していた。
そして…………。
明け方になって、バスルームでお互いの身体を洗って、部屋のヒーターをつけた。
俺は、ジュリオのパジャマを借りて――二人で、ベッドで眠った。
夢よりも、信じがたくて消えてしまいそうな現実だった。
もう、二度とないと思っていたような時間が、俺を…………。流れていっていた。
……それはそれとして、小腹がすいた。
「――そうだ。ジュリオ、雪、やんでるよな」
「? はい、まだ空は、曇っていますが……」
「そっか。ジュリオ、浴室にあった、洗濯用の洗面器、持ってきてくれ」
はい、と、ジュリオは?のマークを頭上に出しながら、浴室からアルマイト製の大きな
洗面器をもってくる。洗面器というより、赤ん坊の風呂サイズの平皿だ。
「おう、それそれ。そいつでな、そこの――窓の外のサ、ベランダのところの雪をだね、
うわっつらの、なるべききれいな雪をそいつに山盛り、頼む」
「はい……。えっと、なにを――」
俺は無言のウィンクでそれに答え、パジャマ姿の背中を向ける。
そして俺は、さっき冷蔵庫の中で見つけておいた『もの』と、小さなナベ、そしてガス
のコンロを頭の中で組み合わせていた。
◆
「……あの、これで……?」
ジュリオは、雪がたっぷりと詰められ――てっぺんを、初心者用ゲレンデのように緩や
かに削って平にした、真っ白な雪の器を、テーブルに置いた。
「うん、いいかんじ。ちょっとまってな~」
俺は、香ばしい甘味を立ち上らせているナベを、ガスの青い火の上で揺らす。
もう片方の小ナベは、準備完了し、お湯がはられた別の洗面器の中で浮いていた。
「……こんなもんかな――オッシ」
小鍋の中では、茶色い粘液が、なんかそういう怪奇な生き物みたいな液体が、ぶつぶつ
細かい泡を立てて――次第に、水気が飛んで固くなってきていた。
「さて。……ほい、ちっと熱いのいくぜ」
「はい……?」
ジュリオは、手指を逆の手のパジャマ袖に突っ込みながら、俺の顔と手元を交互に見る。
「たぶん、こーいうことだと思うんだが……失敗したらごめん。――勝負」
「ジャンさん……?」
俺は、片側の注ぎ口が鳥のくちばしみたいになった小鍋を、そうっと雪の上に傾ける。
むらむら立ち上る湯気の下から――
ツツッ、と、細い雫が、スローモーションの映画のように茶色く触手を伸ばしてゆく。
「……あ…………」
ジュリオが、ぼうっとしたような声をあげる。
俺は、かつてないほど集中し――熱したナベから垂らす、砂糖と一緒に煮詰めた蜜を、
メープルシロップのブチ濃い雫を、冷え冷えの雪の上に垂らす。
「……お。いいかんじ?」
茶色い蜜は、雪の上でてらてらと輝き、雪に半分埋まりながら――俺の手の動きで、丸
い形になって…………。
「……うお、しまった、キレねえ。ヘラかなんかいるわこれ」
「あ、あ……。はい」
一呼吸遅れてジュリオが動き、キッチンからスプーンを持ってくる。
そのときには……。
「形は失敗だが――できたぜ、ジュリオ」
「……? これは……」
俺は、ガキみたいに笑って――雪の中から掘り出した、まだ氷片がこびりついたままの
いびつなリングをつまんで、見せる。
「砂糖雪、だったかな。いやな、この前、読んだ本に書いてあったんだよ。山奥で暮らし
てる一家がサ、クリスマスかなんかにみんなで集まったときにコレ、やっててさ」
「……お菓子、ですか?」
「おう。メープルシロップのブチ濃いヤツを煮詰めて、雪で凍らせたキャンデーだな。
――食う? ……こっちは、チョコレート。ちゃんと固まるかどうかはしらねー」
「……ジャンさん…………」
俺から、アメのリングを渡されたジュリオが、ぼうっとしたような声を出す。
「もしか、して…………」
「もしかもくそもねー。……すまんな、しょぼい誕生日おめでとう、で」
「……!! ジャン、さん……!!」
「…………ずっと、気にはなっていたんだぜ。ホント……。だけど、その……すまん」
「え…………」
「――だめだよな、やっぱ」
俺は、自分も気恥ずかしく、そして泣きそうな気分になって――それをごまかして、湯
煎したチョコレートのナベを雪の上で傾ける。
「……あ、くそ、いきなり失敗した。……アメよりやーらけーのな、コレ」
「……あ、あの、おれ…………」
「次は任せろ――……アリガトな、ジュリオ。ここに……つれてきてくれて」
「え……」
「……あああ、またずれた! ――……あのままだったら、俺、たぶんさ――いや、絶対
おまえに誕生日おめでとうどころか、もう……何も言えなくなってたよ」
「…………俺、は……」
「……おし、こんどはできた!!」
俺は、照れ隠しでデカイ声を出して――そして、やっぱり、顔をうつむかせてしまう。
……目を見て、言ってやれない。心臓がバクバクする。
「……やっぱさ、いっくらすれちがって、いっくら会えなくても、言わなきゃだめだよな。
ジュリオ、誕生日おめでとう」
「……ジャン、さ…………」
「それと、ん……大好きだぜ、ジュリオ――」
「――…………」
ジュリオの動きが、呼吸が止まってた。
……クソ、心臓がバクバクして顔あげられねえ。
……ていうか、昨日、体中痛くなるくらいセックスした相手に、何照れてンだ俺……。
「その、さ……。もしかしたら俺たち、もう、さ……。こんなふうにあえないかもしれな
いけど……でも、いやちがう、だから……いわなきゃいけないのに言えなかった……」
「――……………………」
「……会議は延期になったけど、また明日から始まる。俺、なるべくオマエのこと……」
そこまで、俺が言った時だった。
「…………!!」
「う、わっ!? ジュリオ……?」
俺は――巨大な影にさらわれたかのように――いつの間にか、俺の背後に立っていた
ジュリオの腕に抱きすくめられていた。俺が慌てて顔をあげる前に、俺の身体は翻弄され
て……。
「う、っ……く……」
俺の首筋に、頬に、耳元に――身をかがめたジュリオのキスと、顔が、あった。
「……ジュリオ…………」
「……! ……っ、す……みません、俺……なんて、いっていいか――」
フフ、と俺は笑って息を吐き出し……ジュリオの髪に、手指を埋める。
「……こーいうときに、先に身体が動いちゃうの――キライじゃないぜ?」
「ジャンさん…………」
「そうだよな、こーいうのは……キスしながら、いうもんだよな……」
「……は……い、……っ……。ん…………」
「あ……ジュリ……オ……ぅ、ふ………………」
――唇を重ね、熱い呼吸を相手の胸に送り込みながら…………。
「……おっと、チョコ、固まったかな」
俺は、ジュリオの腕の中からひょいと手を伸ばし、雪の中を探る。
「おー、出来たできた。……ほら、ジュリオ」
「あ……。は、い……ありがとうございます。……鳥、ですか――」
「ハート」
「……すみません………………」
◆
1週間後、本部で開かれていた会議が無事、終了した。
NYとフィラデルフィアの客人たちは、あの襲撃事件を受けて、帰途は、予定とは別の
コースと交通を使い本拠地に戻っていった。
それから3日後。
俺は、本部に居るところをジャンさんに呼び出された。
「――お疲れ、ジュリオ。……そっちは落ち着いたか」
「……はい。俺は、平気です」
そうか――
ジャンさんは、カポのコンプレート姿で巨大なデスクに座ったまま、そう言った。
俺は、仕事用のスーツ姿で、その机から10歩ほど離れた正面に、立つ。
俺とジャンさんしかいない、大きな執務室で――
……あのあと、迎えの車と護衛部隊が来て、ジャンさんはこの本部に戻った。
ジャンさんはそこで、連合の客人と会議を開き――俺は、ボンドーネの屋敷に戻って、
財務の整理におわれ……そして1週間が過ぎた。
そのあいだ、ジャンさんからの連絡はなかった。こちらからもしなかった。
そして、俺が本部に戻って――3日後、こうして呼び出された。
「――…………」
俺からは、何も言わなかった。言うべきではない、とわかっていた。
その俺の前で、デスクの上に手を組んだジャンさんが、少し冷たい声で言った。
「……会議は無事、終わった。――前から問題になっていた、ジュリオ、おまえの昇進の
ことについても……決まった」
「はい――」
もう、何を言われても――それを受け止める覚悟はしていた。
「……結論から言うと…………先延ばしにした」
「はい……。…………え……」
「……なんというかさ――」
ジャンさんは、組んでいた手をほどくと、その手で金の髪をくしゃくしゃにして、
「……往生際が悪いと自分でも思うよ。ホント、でも仕方ねーじゃん。もうさ……」
「ジャンさん……」
疲れたように笑うジャンさんに、俺は――自分が死んだ方がいいような気分になる。
「かといって、ダダこねててもラチあかねーからさ。だから、新しいシゴト、いれたぜ」
「仕事……ですか」
「そう、シノギ」
ジャンさんは顔を上げ、指をひょいひょい動かして俺を呼ぶ。
おそるおそる、歩いてしまった俺の目に――ジャンさんの前に広げられた、アメリカの
南西部の地図が映った。
「……カリブ海ですか」
「ああ。……ジュリオ、寒いのと暑いの、どっちがいい?」
「俺は…………」
「まあ、この地図の時点で選択肢はないけど。――キューバだ」
「……キューバ共和国――軍事政権との、シノギですか」
「ああ。もちろん、ほかのヤクザのおまけ付きだ。先日の会議で、東海岸連合も本腰入れ
てキューバに進出することが決まった。リゾート、ホテル、カジノ。エトセトラ」
「わかりました――」
俺は、覚悟を決めていた。
俺の脳髄の奥では、見たこともない南国の景色が、無機質な青い空と海と、不潔なジャ
ングル、腐った政治とくたびれた人々が見えていた。
「もちろん、CR:5もそこに出資したいが……ザンネンながら、うちは中小企業だ。
根本的に予算がねえ。というわけで――」
「……俺……ですか。ボンドーネ家、が……」
「……すまねえ。実際には、役員会の名義で動くことになるが――メインのスポンサーは
ジュリオ、おまえに頼みたい」
「わかりました。すぐ、支度します――」
「まずは下調べの視察だ。出発は、3月の中旬――たのむ、な。
――おまえには、汚れ仕事と、リスクを背負わせることになっちまうが……。
もちろん、うまくいったら利益はジュリオ、おまえのもんだ」
「……はい……」
「そうすりゃ、役員会も、とりあえずはうるさいことは言わなくなる――財務局相手には、
別の手を作らなきゃなんねーけどな」
「わかりました、俺、は…………」
俺は、汗ばんだ手を、強く握る――
あの時の、ジャンさんの言葉が耳の奥で、再び聞こえる
――言わなきゃだめだよな。……と。
「……では――そのシノギは・・・」
「ああ」
「……CR:5幹部、ジュリオ・ボンドーネが――二代目カポの、あなたの命令で執行す
る、ということですね――」
――言えた…………。俺が、まだあなたの、部下だと…………。
「ああ。もちろん」
ジャンさんは、ニコッと――そのカポの椅子と、コンプレート姿には似つかわしくない
いつもの笑顔で、言ってくれた。
「……わかりました。俺、ひとりで……うまく、やります」
「ん……? ――あー。ああ。そうそう、ジュリオ。こっちこっち」
「はい……」
俺は、おそるおそる――数歩、ジャンさんに近づく。
また、指が俺を呼ぶ。俺は、ジャンさんの傍らに――立つ。
ジャンさんは、ハンカチをスーツのポケットから取り出した。
……洗いたてじゃない、何か一度使ったあとのような、ハンカチを。
「――このあいださ、いきなり狙撃されたじゃないか。リムジンを一台パーにされた」
「あ……はい。なにか、わかりましたか」
「ああ。犯人がわかったぜ」
ジャンさんは、口笛を小さく吹いて……デスクの上で、ハンカチを開いた。
そこには……小指の先、何かの果物の種くらいの大きさのものが、あった。
――つややかに黒光りする、流線型の……物体だった。
「それは……?」
「ああ。ぶっつぶされたリムジンを、ルキーノの工場で解体してたらさ。ブチ抜かれた
エンジンルームの奥から、こいつが出てきた」
ジャンさんは、そう言ってその黒い何かをつまみ上げる。
『それ』は、光の反射で青色に、赤色にも……見えた。
弾丸ではない。ありえない――
「それは、いったい……」
「ああ、最初、新型の徹甲弾かとおもってさ――いろいろ調べたよ。そうしたらさ――」
ジャンさんは『それ』を持ったまま、椅子に深くもたれ――天井を見上げた。
◆
「……常々、おまえの幸運は世間離れしているとは思っていたがな――」
「ああ。だけど、こいつは幸運って言うよりは……とんだ災難だったな、ジャン」
本部の地下にある、銃を試射したり何かを解体したりするフロアで、俺はわけわからん
頭をぼりぼりかいて――ルキーノとベルナルドの二人の講義を受けていた。
「……つまり。俺はあれか、神に、天にブッ殺されかけたってことか」
「殺意を証明出来ないけどね。だけど、おおむねそういうことかな」
「ラッキーのツケが回ってきたのさ。命があることを週末に教会で感謝してこい」
「……ふーん、これがねえ」
俺は、アーモンドくらいの大きさの、ツルッとした黒い石?をつまんで、電灯にかざす。
そいつは、黒色の中に、青やら赤やら、キラキラしたいろんな色を閉じ込めていた。
「ボンネットを貫通した角度を見た時から変だと思っていたんだがな。ビルから撃ったに
しても角度が急すぎた。だが……その弾丸が、宇宙からきたんならうなずける」
「いちおう、知り合いの学者センセイにも見てもらった。そいつは――」
――隕石、だった。燃え尽きずに地上まで落ちてきた、星。
「あとちょっとサイズが大きかったら、おまえはリムジンといっしょに木っ端微塵になっ
て地上から消えてたし……もう少し、そいつが小さかったら、誰も見ていない流れ星に
なって何事もなかった、ということだ」
「………………」
「ほんと、おまえは運がいいのか悪いのかわからんよ。隕石がぶち当たるなんてな」
「……ホント、だ……」
「このことは、人に知られたらこっちの正気を疑われる。それに……続けて襲撃を受けた、
ということにしておけば平和ボケの役員会を牽制できるしね」
「じゃあ、このハナシは――」
「そう、ここだけで頼む。俺も、こんなありえない話しに付き合ってられないから明日に
は忘れることにするさ」
「ああ、その石は記念に。ジャンが持っておくかい? 専門家のハナシでは、毒性とかは
ないってことだから………………」
◆
「――隕石……星、でしたか…………」
俺は、ジャンさんお言葉にそのまま頷いて、指先に摘まれた黒い輝きを、見る。
「ああ。なんていうか……俺は自分の運、っていうか、運命っていうかがちょっと空恐ろ
しくなったけどさ……でも、ハラきめたぜ、ジュリオ」
「はい……?」
「あのとき、こいつが俺の足止めしてくれなかったら――俺はあのまま会議に出て、そう
してジュリオのことは人任せにしちまってたかもしれない……だから、さ……!」
「あ…………」
ジャンさんの手が、俺の腕を強く、熱く、掴んでいた。
「俺はラッキードッグだ……!!
だから――こっちの流れは、絶対間違ってない!! 俺はもう迷わねえ、ジュリオ」
「ジャン、さん……!」
俺たちは、ふたりとも何も言わず、身動きもせず、そのまま――
「……ああ、それとさー」
ジャンさんが、先に動いて――
あの黒い星を、手のひらで転がし、それを指でつつく。
「あ……」
「――そう。こいつは、ぶち当たったときかなんかの弾みで……ほら」
その星は、ジャンさんの手のひらで二つに割れていた。
ひびが入って、だがほとんど同じ大きさに、裂けた石――
「こいつ、片方をやるよ。ジュリオ、持っててくれ」
「え……ジャンさん……?」
ジャンさんは、指でつまんで、割れていたその石をまた一つにして……。
「……ぴったりくっつくだろ。いっこのモノが、割れただけだから。
……俺たちさ、この先どうなるかわかんねえけど……こういうかんじで、いようぜ」
「…………!! ……あ、あ……」
「……別れるって、こういうことだよな……。もともと、一つだったんだ、だから」
「はい…………!!」
俺は……その星を、ジャンさんの手の上から握ってた。
――俺は…………ジャンさん以上に、幸運な男だと――やっと、わかった。
「……ジャンさん…………」
「フフ、なんだよ……。手、痛え、ってば……ハハ……」
「俺……! もう、ひとりでも……俺…………」
「……ハハ、ばか。俺のこと見ろ。……俺がひとりじゃだめだってーの」
「……! ……す、み……ません……俺……」
俺は――
「……俺、キューバで……ひとりでも、うまくやってみせ、ます……!」
「おう。……って、あれ。言ってなかったか」
「はい……?」
ジャンさんは、いたずらっぽく――俺に、笑う。
「キューバ視察は、俺もいくってば。初めての土地のシノギだしさ。
――護衛、よろしくな。ジュリオ」
「……!! ……はい…………!!」
END
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『Radiant Two 1』
2010.02.15~2010.02.22
「――すこし冷えてきたかな。寒いか、ジュリオ」
「いえ、俺は……あ……ヒーターの温度を、上げてきます」
ジュリオは、ぬるくなったココアのカップを包んでいた手を離し、席を立つ。
俺は、それにつられるようにしていっしょに立ち上がり、キッチンへ――
しゅわしゅわと湯気を立てている電気式のポットから、だいぶ出がらし風味になってき
た紅茶のポットに凶暴な熱さの熱湯を注ぐ。
「26度に、しました。……すぐ、暖かくなります、たぶん」
「サンキュー。いやあ、冬になるとボイラーつき住宅のありがたみが身に染みるよな」
ジュリオは、何故か少し困ったような顔で笑い、そして――
「――…………」
数歩、歩いて、大きなガラス窓のほうに鋭い視線を向ける。
そこは……。
「……雪が、やんだようです」
「そっか。昨晩は、一晩中吹雪いたからな。デイバンの空気もだいぶ清潔になったろ」
俺は、まだ窓の外に番犬のような目を向けているジュリオを見……。
「異常なし?」
「あ……はい。……あ、でも、まだ、だめです。ジャンさんは、窓辺には近づかないで」
「わーってる。遠くから、パン!で脳みそふっとばされたくねーし」
「……すみません。『ここ』を狙撃できる位置の建物は、全部、部下に洗わせていますが
……それでも、昨日のことがありますから。警戒を……」
「そうだな。――でも、ここなら安心、だろ?」
俺は、熱々の紅茶ポットをテーブルに置き――
「ふああああ。二度寝したのにまだ、眠い」
ブカブカのパジャマを着て、さらにその上におばちゃんが着るようなキルトのもこもこ
部屋着を引っ掛けた身体で――首をコキコキならし、伸びをする。
「……もう少し、おやすみになりますか。……しばらく、ここは動けませんし……」
「……そうだなあ。…………しっかし、なんつーか」
「はい」
ジュリオが窓をもう一度、見て……振り返る。
そのジュリオの格好も、俺とたいして変わらない。ただ違うのは、パジャマが自分用な
んで、彼のを借りている俺と違って、寝間着姿でもぴしっとハンサムだ。
「……平和だなァ。……昨日のあれは、なんだったんだろな……」
「わかりません……。ですが、撃たれたのは、確かです。……市街の掃除と、護衛の配置
がおわるまでは、ここに……」
そこまで言って、ジュリオは――雨の中の犬みたいな顔で、うつむく。
「……すみません、俺の独断で、ジャンさんを――」
「いや」
俺は、ゆっくりぶかぶかフカフカのスリッパを滑らせ――
「なんか、久しぶりのオフ、って感じだ。……逆にアリガトな、ジュリオ。俺、いますっ
げえくつろいでるわ。ほらほら」
俺は、自分のツラの……眉間のあたりを、指でつつく。
「鏡見なくてもわかるぜ。このヘンにあった困りシワが無くなってらあ」
「……ふ、フ……あ、すみません……でも、はい……。いい、です。きれいな、顔です」
「ほめても何にもでねえって。……さて、なんか小腹へったな」
俺は――
この見慣れぬ部屋を横断し――
……いや、見慣れた部屋だったが、記憶から忘れようとしていた部屋を横断し、再び、
キッチンと冷蔵庫の方にスリッパを滑らせる。
ジュリオの、部屋。
ジュリオのアジト。
ジュリオと、最初に――……なんというか、クソ、言葉に出すと未だに照れる。
ジュリオと、最初にセック…………あー、最初のあれはノーカン。
ジュリオと、抱き合った部屋だ。
ジュリオと、何度かいっしょの時間を過ごした、このアパートの、部屋。
もう、戻ることはないと思ってた、部屋。
「……3時か。メシにはビミョーすぎる時間だな。さて……」
俺は、紙の包みや瓶が整然と並ぶ冷蔵庫の中の暗がりに、目を細め…………。
「なんだったんだろな、あれ――」
つい、20時間ほど前のことを思い出していた。
◆
「――……東海岸はほぼ全域が大型の寒波に覆われており、これは観測史上……」
車のラジオから、6時間前と同じ内容の天気予報が流れていた。
「……雪が降りますね。夜になったら」
運転席の部下が、フロントガラスの向こう、陰鬱な冬の夕暮れ空をちらと見上げて言う。
俺は、後部座席でじっと座ったまま、目だけを動かして前方の車のテールライトを――
そしてバックミラーに映る、黒いフォードの車影を確認した。
異常は、ない。
この車列に異常は、無い。このピアース・アローの後ろに居る2台、そして目の前を走
るフォードは、味方だ。俺と同じ――CR:5の車。中に護衛の兵隊が乗った車両。
今、ここからは見えないが――前方で、この車列に守られて進むリムジン、それに乗っ
ている俺たちのボス、CR:5二代目カポを……ジャンさんが、そこにいる。
「……夜までには着く。本部で、タイヤチェーンをつけておけ」
「わかりました。隊長」
俺の言葉に、運転手と、その横に乗せてある俺の私兵が小さく頷き返事をする。
「若様……、あ、っ……申し訳ありません、旦那様。本日は、どちらにお戻りに」
俺の呼び方を間違た女の私兵が、血の気の失せた顔をフロントガラスに映していた。
「本部に、カポをお送りしたら――今日は、屋敷だ。することがある」
「了解です」
――昔からボンドーネ家に仕えている兵隊は、いまでも俺の呼び名を間違える。
――俺もそれを咎めたり罰したりする気はない。面倒だ。
――そもそも、俺は……ジュリオ・ボンドーネ、となった、この俺の名前が嫌いだ。
――祖父だった男が残した、ボンドーネの家と名前、金。俺には邪魔だった。
「……俺には、なにも…………」
俺は、自分にしか聞こえない声でつぶやく。
俺はもう、ボンドーネ家の坊ちゃんではなく、ボンドーネ家当主だ。
もう……CR:5の幹部としては、無意味に金と地位を持ってしまった。
滑稽だ。
俺の欲しくないものばかりが、俺の周りに寄ってくる。
「――……マサチューセッツ湾沿岸は暴風雨と高波に厳重な注意……プリマス以南……」
ラジオが、このここデイバンの街と同じ脅威にさらされた土地への警報を流す。
……俺には、関係が無い。
金、地位、家柄。そして……幹部から、役員への昇格の、話。
財産を持ちすぎた俺が、組織の幹部位に居続けると――他の組織や、財務局、捜査局の
目を引いてしまう。それは、ジャンさんへの危険が大きくなる、ということだった。
だから――いったん組織を出て、役員としてCR:5の監察役になる……。
その決定は、いちばんまっとうな解決法だった。
俺も、ジャンさんも……それを、受け入れることを――
……納得、したのだろうか。
……だが、そうするしかなかった。
……ジャンさんは、立派なカポになった。
……もう、俺は必要ない。だったら、これ以上ジャンさんに迷惑をかけないよう……。
……また、俺は昔の俺に戻ればいい。
……ひとりで、生きればいい。あの頃とは違うのだから。生きられる。
……ジャンさんがくれた想い出があるから。ジャンさんが、この世界に居るなら。
「……俺は、それでいい――」
「……?」
今度は、声に出てしまっていた。運転手と私兵が、小さく目を動かして後部座席の俺を
気にしたのが見えた。
「――警戒を怠るな。GDは、絶対にまた仕掛けてくる」
「は、はい」
先日……GD側からの襲撃で、CR:5とGDの和平は決裂した。
CR:5からも情報が漏れていた。ほとんど護衛をつけずに移動していたジャンさんが
GDの暗殺者に狙われ、きわどいところで――俺が、間に合った。
あの事件以降、俺の役員昇進の話しは半ば凍結されていた。
GDの暗殺者に、あのショットガン使いに対抗できるのは俺しかいない。
「……護衛、失格か…………」
また、声に出ていた。前部座席の二人が、自分たちのことかと思ってぎょっとしていた。
――あの時……。
――やつを追わなくて、よかった。
ジャンさんの乗った車を襲ったショットガン使いを、俺は手負いのまま逃がしてしまっ
ていた。……あそこで仕留めなくて、よかった。
あそこでやつを仕留めていたら、俺はもう、ジャンさんのそばにいられなかっただろう。
ほかの刺客なら、兵隊どもに任せておけばいいからだ。
ジャンさんを、危険に晒すことでしか発揮出来ない、俺の……力……。
こんなものは力でも何でも無い。
今思うと――
祖父だったあの男が言っていたことは正しかったのかもしれない。
俺の持っているナイフや銃の腕など、無意味でくだらないものだ、と。
――だが、それがなくては……ジャンさんを守れなかった。
――だが、今は?
――ジャンさんが立派な二代目になり、敵よりも多い味方ができた今。
――装甲されたリムジンの中で優秀な兵隊に守られている、今は。
「………………」
不意に――
快感の記憶が、痛みのように再生される。
尾てい骨のあたりから、脊椎を貫いて脳幹の中で記憶と一緒に火花を散らす記憶。
ジャンさんと、一緒に居た時の――
今でも、夢か、よくできた妄想なんじゃないかと思うことがある。
――二人で、居た時の記憶。
――笑い、俺のことを見つめる目。そっと撫でる、指。
――重なった肌と、ジャンさんの匂い。くすくす笑う声と、痛みを我慢する吐息。
――そこで、何も考えられず飢えていた、俺……。
「……ジャンさん…………」
声にならないつぶやき。
ジャンさんが、俺のことをどう思っているのか――
わからない。
何度も、俺のことを好きだと言ってくれたジャンさん。
俺も、それに答えた。
離れ離れになっても、必ずジャンさんを守ると、俺は誓った。
だが…………。
ジャンさんは、いまでも……そう、思っていてくれるだろうか……。
――聞くことなんて出来ない。答えがなんであれ、知るのはきっと、恐ろしい。
――ジャンさんは優しいから、その答えは…………。
「――……NY市長は今回の寒波に対して、市民と各省庁に注意を…………」
雪が降るのだろう。
車の外から響いてくる街の騒音は、いつもよりクリアで、ラジオの音をぶれさせる。
だが、問題ない。
ジャンさんは、むこう1週間は本部から動けない。NYとフィラデルフィアから、連合
の客人を交えての会議があるからだ。
おそらく、そこで…………。
あの襲撃以来、棚上げになっていた俺の殊遇も決まる。
――その前に、ボンドーネの資産や現状を整理し把握しておく必要がある。
――むこう1週間は、会うことは出来ない。
――もしかすると、この先………………。
「その方が、いいの……ですか…………」
俺は、自分の中だけでつぶやいた。
「…………?」
ふと――違和感が、きた。
「なんだ……」
なんだろう。初めて感じる、何か。体中の表皮がチリと逆毛たつような、何か。
殺気や視線ではない。
無機質な、違和感。兵隊に注意しようとした俺の耳に、
「――……本日のNY株式市……は……堅…………g……G G G G…………」
ラジオが、退屈なニュースの代わりに耳障りなノイズをうめきだす。
舌打ちした運転手が、チューニングのダイヤルを回すと――
G G G G…… ガ…… ZZZ Z……G…………
聞いたことの無い、耳障りな静電が車の中を駆けまわった。
「もう消しな。アンテナが壊れたんだ」
私兵が運転手を鋭く叱咤した、そのとき。
『――……次のナンバーは、冬の寒さも吹っ飛ばすホットな新曲。サーフィンボー……』
……!?
俺も、兵隊たちも――ラジオから流れてきた音に、あまりに異質な、能天気で陽気な声
と音楽に、一瞬、我が耳を疑っていた。
『――……首都のあたりは大雪だそうですね。常夏の我々には、雪なんてカクテル……』
「な、なんだ……? どこの放送だ、クソ」
聞いたことの無いアナウンサーの声、そして……常夏…………。
ダイヤルが回されると、そこにスペイン語らしき声や音楽も混じる。
「うそ、なんで……。これ、フロリダとかバハマの放送でしょ」
「どうなってんだ……入る訳ないだろ、そんなところの放送……」
前部座席で、戸惑う部下の声が――
俺は、
「……!! ――カポのところに行く、車を守れ」
それだけ命令し、ドアを開けてそのまま――市街の闇の中に、飛んだ。
「隊長!?」
――いつもと変わらない、デイバンの渋滞、混雑の騒音。
俺は、渋滞の中をのろのろと進む車列を、追って走った。
◆
「――ふう……」
道路は渋滞しているみたいだったが、時間に余裕はある。問題なく到着できる。
本部についたら、お客人を迎える支度をして、そのあと楽しい夕食会。そのあと、軽く
酒と葉巻で、明日からの会議の打ち合わせと根回し。
「……ハハ、1週間はガムも買いに行けねーなこりゃ」
だが、今回は本部にアレッサンドロ親父と、カヴァッリ顧問がいてくれる。
俺は――
CR:5二代目カポ、ラッキードッグ・ジャンカルロは、今回はただの愛玩犬と同じで
お行儀よく座っているだけでいい。
もっとも……GDが和平条約にタン吐きつけて踏みつぶしてくれてからは、俺も、ひと
りで街に出るなんていうのはすっかり夢物語になっちまった。
「昔は……」
まだチンピラだったころ――デイバンの街を、ポケットに小銭だけチャラつかせてガム
ふくらませながら歩いていた――それがたった2年ちょい前。
もう、俺は別の生き物になっちまったみたいだ。
あまりにも変わりすぎて……他人事みたいだ。
夢見ているみたい、どころじゃない。他人の夢をのぞき見てるみたいだ。
しかし……。
「……それにしっかり順応してる俺って……すげえ? ……いや、してないか……」
誰も乗ってない、豪華なホテルのソファがこそこそ逃げ出すようなこの後部座席で、
俺はぼんやり、窓の外を――防弾ガラスは黒服どもの壁のように、外の光も音も遮って、
何も見せてはくれない。
そこに映っているのは、コンプレートを着たおなじみのマヌケ面。俺。
「変わったの、服だけにみえるんだがナァ……」
冷蔵庫から炭酸水を出そうとして、やめる。煙草に火をつけようとして、やめる。
なんだかぐったりして、息をするのも面倒な気分。
ふと……このリムジンを守る車列のどこかで、たぶん、俺とは違ってピリピリに警戒し
ているであろうジュリオのことを、思い出した。
「……ジュリオ…………」
俺に――
今の俺に、何がしてやれるだろう。あいつに、何をしてやれるだろうか。
二代目になって、偉くなったはずなのに……俺は、逆に、あいつに何もしてやれない。
――昔のように、二人で下町を歩いたり……。
――二人で、銃弾が跳ね回る中、命を張ったバクチをしたり……。
――二人で、汚い海岸を何するでもなく歩いて、写真をとったり……。
――二人で、サイドカーに乗って知らないルートを走って、野宿したり……。
――そして……。まさか。まさかだったが、あいつと文字通り、身体を……。
「……ッ…………」
じぃんと、座りすぎてシビれた足に血がめぐるときのような――痛みに似た快感を、俺
の身体と意識が思い出して――俺は、暖房がきいた後部座席で、熱と、愚かさでにごった
息を吐いた。
ケツのあたりと首筋に、あいつの手指が触ったようなもどかしさが、走る。
小便を我慢しすぎたような、鈍い痛みにも似た…………腹の奥の、感覚。
「……くそ、あンの童貞野郎、すっかりヒトの身体にあとつけやがって……」
しかし…………。
それも、もう終わってしまう話なのかもしれない。
――おそらく、今回の会議でジュリオの役員昇進の話しが、そしてそのまま役員会の重
役ポストに移籍させるハナシが、決まる。
そうしたら、俺たちは、もう…………。
「……なぁーんにも、してやれなかったな…………」
ジュリオの移籍の話が出たあと、俺は……ジュリオと一緒に居たい、というでかい声で
言えない理由で、それに反対し――そして、押し切られかけていた。
偶然、そのときにGDの和平破棄と襲撃があったせいで、移籍の話は有耶無耶になって
いたが、そろそろ限界だ。
これ以上、ボンドーネ家の当主を、ジュリオ・ボンドーネを幹部位のまま組織に置いて
おけば、それは組織の――そして、ジュリオ自身の破滅に繋がる。
「……変わってっちまう、のか…………仕方ねえのか…………」
人間が、どんなやつでも絶対死ぬように……。
こういうカンケイも、いわゆる「LOVE」ってやつも、いつかは終わるのか……。
俺があいつに何もしてやれないみたいに、その流れに逆らうのは、無意味なのか……。
だったら――
きれいにこのまま、あいつがベストでいられるようにしてやるのが……。
「ボスの使命かもな」
俺は、防弾ガラスに映ったマヌケ野郎に語りかける。そいつも、俺と同じことを言って
俺の意見を肯定する。
あいつも、俺も……組織や家柄を背負って立つ、男だ。
もう、自分と、相手のためだけには生きられない――背負うものが、ある。
だから……もう…………。
「ジュリオ……」
あいつは、俺を好きだと言ってくれた。
ずっと俺を守ると、約束してくれた。
何があっても、どれだけ世界が変わっても――俺も、そう思っている。
本当だったら、世界で一番デカいスピーカーとラジオを作って、世界中にそう叫びたい。
だが……できない。するわけにはいかない、関係。
――離れ離れになっても、ずっと。
言葉には、した。
それを、この先どんなことがあってもかわらないと、馬鹿なあいつに、そしてもっとも
っと馬鹿野郎の俺に、わからせてやりたい。
……どうすればいい……?
「どうすりゃいいんだろうな……」
俺は、シガーケースを開けて、喫いたくもない煙草をつまみ出した。
据付の銀製のライターを手の中で回し、蓋を――
そのときだった。
……Z Z Z …………Hiiiiiiiiii I I I I I I
「な……」
首筋がチリ、としたその瞬間、
ドガン!! と世界がひっくり返った。
「う、うわ!? ……な、なん――」
ガギイイイ!! と、金属が引き避け粉々になる音、リムジンの巨体が震えてエンジン
が悲鳴をあげる音が――その中で、俺はワケもわからず叫んでいた。
「くそっ、襲撃…………!?」
一瞬で、車内灯が消えて世界は闇に覆われた。
その中で、リムジンが何かに衝突した音と、衝撃が俺を打ちのめす。
「ぐ……! く、くっ……!!」
先回の襲撃で、「普通」の装甲キャディラックが紙みたいにぶっ壊された教訓を受け、
こっちのリムジンには追加の装甲と防弾ガラスを増設していた……はずだった。
なのに……おそらく、たったの一発で――
「クソ、銃……」
後部座席のホルダーに、拳銃と手榴弾があるはずだったが……この暗闇では、上も下も
わからなかった。ただ、エンジンとギアがイカれたリムジンの機械悲鳴だけが、焼けた鉄
の悪臭が充満する闇の中で響いて――俺をパニクらせていた。
――車列に居たはずの護衛たちは、どうした……!? クソ……!?
「ぐ……う、うわ……ジュリ、おおおお!!」
俺は――ガキが泣くように、その名前を何も考えずに叫んでいた。
その名を叫び、肺の空気を絞り出したとき
「――!!」
「……ヒッ、い……!?」
一瞬、閃光で視界が塞がれ、口から情けない悲鳴が漏れてしまった。
そこに、
「……ジャン!! ……ジャンさん!!!!」
声が、した。鋭い切っ先のような、それでいて泣きそうなその声は――
「……ジュリオ……!?」
ようやく、俺の目玉が光に慣れた。俺を襲った閃光は、前部座席とこの功績を仕切って
いる隔壁、そこにある窓のスリットが開けられて飛び込んできたヘッドライトの光だった。
「ジュリオ……!!」
そのスリットのむこうに……車内隔壁の防弾ガラスの向こうに、ジュリオの顔があった。
「……!! ジャン、さん……!! ケガは……!?」
ガラスの下にあるスリットから、ジュリオの泣き出しそうな声が響いてくる。
「あ、ああ。……たぶん……なんともねえ。……GDか!?」
「――わかりません……。ですが、狙われました――動かないで、ジャンさん」
「……狙われ、た……? なんに!? あのキチガイヤンキーか!?」
「……すみま、せん、わかりません……。ですが、この装甲車を、一撃で…………」
漏れ聞こえてくるジュリオのつぶやきに、カミソリの刃を立てたような鋭い静かさが混
じり初めていた。
ガラス越しに見えるジュリオは、見慣れない形の銃を手に、開け放たれたドアの向こう
側に猟犬の目を――何度も見た、マッドドッグの眼光を向けていた。
「……。……ジュリオ、この車は動かせないのか?」
「……すみません、運転手が……破片で、腕をやられています。すぐに、ほかの兵隊が来
ます、大丈夫、ですジャンさん……!」
「て、敵は……?」
「……は、い……。……おかしい、来ない――狙撃、か…………?」
漏れて聞こえる騒音は、幹線道路でいきなり停止した大型リムジンと車列、それを取り
巻く渋滞からのクラクションだけだった。
銃声は、しない……??
「……!! おい、ジャン!! 生きてっか!?」
そこに、聞き覚えのある罵声が――そいつの姿より先に飛び込んできた。
「イヴァン、か!?」
「おう!! このリムジンは駄目だ、グリルから煙吹いてる!! 俺の車にこい!!」
「あ……あ、ああ――」
そうだった。このリムジンを護衛する車列の先頭は、イヴァンのメルセデスだった。
まだ衝撃で頭がグラグラしている。
俺がイヴァンのことを思い出すのと同時に、防弾ガラスの仕切りに、イヴァンが顔を貼
り付けるようにして叫んだ。
「早く!! 道は兵隊が固めてる!! 早く出ろって! その車、外からじゃドアが開け
らんねーんだよ!! はやくロックはずせ!!」
「あ、ああ……。……く、そ……!!」
俺は、後部座席ドアのレバーに手を伸ばし、衝撃でボケた頭で、必死になってドアロッ
クを解除する。
ガション、と鋼鉄の顎が開く音がするのと同時に、
「ジャンさん!!」
ドアが開くのと同時に、俺の身体は風で吸い出されるティッシュのように冷たい暗闇の
中に転がり――そして、
「……ご無事、でしたか……!!」
まだぼうっとしている俺は、コンプレートのスラックスを台無しにしながら、びしゃび
しゃに濡れた車道にうずくまっていた。
――その俺の身体に、ジュリオの身体が世界と遮断するように――弾除けになって、覆
いかぶさっていた。
ひどく上の方に見えるジュリオの顔が――マッドドッグの顔が、銃弾すら見切るその目
が、湿った夜闇の中に鋭く走って……。
「ジュリオ……?」
「……大丈夫、です。もう……すみま、せん、ジャンさん……また、あなたを――」
「……ハハ、おまえのせいじゃねーって。……しっかし、なんだ……? なにがあった」
「わかりません。……リムジンが撃たれて――それ、だけです……」
「……?? 一発外して、あきらめたか……?」
そこに、地響きのように低いエンジン音をうならせながら――白い巨体が滑ってくる。
「――乗れ!! とにかくここからずらかるぞ!!」
蜂のように警戒し、右往左往する兵隊たちをかき分けるようにしてメルセデスをバック
させてきたイヴァンが、運転席から首を突き出し叫ぶ。
「……わかった!! ……く……ジュリオ、肩、すまねえ……」
「は、はい……!」
俺はジュリオに支えられ、よろめいて進み――兵隊が開けた、メルセデスの後部ドアに
転がり込んだ。まっさらな革のシートを泥水で汚しながら、俺はもがき、
「ジュリ……あ……」
ジュリオは、メルセデスの助手席に――助手席ドアのフレームを抱えるようにして、車
の側面にへばりつき――叫ぶ。
「イヴァン、出してくれ!!」
「おう……!!」
内臓ごとシェイクするようにして、メルセデスのエンジンが咆哮する。
ギアがなめらかに飲み込まれる音がして、白い巨体は歩道をまたぎながらゆっくり滑り
出した。
「ちっと飛ばすぞ!! ちんたらしてるとまた狙い撃ちだ!!」
イヴァンがギアを上げ、叫ぶ。その声に俺が答えるより早く、
「……本部は、駄目だ!! 途中待ち伏せされていたら、危険だ!!」
荒乗りするカウボーイのようにドアにへばりつき、全周を警戒しているジュリオが低く、
銃弾のような声でイヴァンに言った。
「な……!? チッ、確かにな!! どうする、他に――」
「俺の言うとおり走れ!! 頼む、イヴァン!!」
再び走った、ジュリオの声に――イヴァンがハンドルを叩き、叫び、
「くそったれええ!! ――わかった、次の交差点はどっちだボケがあ!?」
「左だ、その通りをダウンタウンまで走らせろ!!」
「な……ジュリオ――」
本部や、ホテルのある地区とは真逆の方向――
そちらにメルセデスを向けさせたジュリオは、疾風の中でコートをなびかせ……。
「…………」
何かの不吉な悪魔のように、暗闇の中、無機質に光る眼でどこかを見ていた。
◆
「――……東海岸を襲った寒波は、カナダの高気圧に押されて南下を…………」
部屋のラジオが、もう5、6回は聞いた予報を繰り返していた。
「雪は打ち止めか。明日には晴れるかな」
「……はい。そうしたら――本部から、迎えを……呼べます」
「そうだな……」
俺は、粉末ミルクと砂糖の味しかしない紅茶らしきものをすすり……。
「――さっきの電話、ベルナルド、なんて言ってた?」
「はい……とくに、叱責はされませんでした。いい判断だったと――」
「そっか。まあ、この部屋は……GDのヤツらも知らねえだろうし、それに」
コンコン、と俺はテーブルを小突いてジュリオにニヤリ歯を見せ笑う。
「マヌケがここ襲撃しても、葬式屋よべないような身体にされるのがオチだからなあ。
トゲと罠だらけの、マッドドッグの巣だ」
「……はい。ここでしたら――建物ごと爆破されない限りは、ジャンさんを、守れます」
「でも、窓の外見るのはアウトか」
「はい……。すみません、狙撃手を使われる危険は、もっと早くから察知して対策を講じ
ておく、べきでした」
「ま、最初の一発目であたまパーンされなくてラッキーだったな。……しっかしなあ」
俺も、おそらくジュリオも「あのとき」の光景を思い出していた。
襲撃の教訓から、もうハイウェイが走れないくらいの重装甲にしておいたリムジンが、
ただの一発で仕留められ、スクラップにされていた。
側面よりは薄いとはいえ、フロントのエンジンカバーが一撃で破られていた。
おそらく、ビルの屋上から撃ったのだろうが……。
もしあれが、エンジンではなく、キャビンの天蓋に当たっていたら――
「おっかねえなあ。……あれが、噂に聞く対戦車ライフルってやつかもな。こえー」
「……そうかもしれません。ですが……あんなもの、持ち歩けるはずが無い……」
ジュリオは、俺と同じ紅茶風味のお湯で、そのカップで手を温めながらつぶやく。
「そんなにでかいのか、その対戦車ライフルってのは」
「モノにもよりますが……ご覧になってみますか」
「あるのかよ」
床を見たジュリオに――床の隠し倉庫を見たジュリオに、俺はコミックの尻蹴飛ばされ
担当のようなツラをして笑う。
「……マジで、軍隊来ても追い払えそうだな」
「努力します……」
「そんなコトにならないように努力します、カポとして」
俺たちはクスクスと……危険物と爆発物がたっぷり詰まった、隠し倉庫の床の上で笑う。
昨日――
イヴァンのメルセデスで、このダウンタウンに滑り込んで。
イヴァンと、ジュリオに護衛されて、このジュリオの隠れ家に入って。
そして……電話は危険なので、イヴァンが現状を報告するため、本部に飛んで。
そして……。
俺は、街路で転んで、汚れていたスーツを脱いで――そして…………。
――言葉は、なかった。
――俺も、ジュリオも、何も言わず……お互いの名前すら呼ばなかった。
――ただ……。怯えていた俺は、ジュリオにすがりついていた。
――ジュリオも、何かに怯えるような手と、目で、俺を包んでいた。
そして…………。
そのまま。最初は、この床の上で俺たちは服を脱ぎ捨て、抱き合っていた。
俺は、犬に踏みつけにされた獣のように、ジュリオに貫かれ……そのあと、ジュリオの
大きな身体を引きずり倒すようにして、身体が冷えるのも構わず、床の上で抱き合い、転
がって、冷えるはずもない身体の汗と体液で、唾液で、床とお互いを汚していた。
そして…………。
明け方になって、バスルームでお互いの身体を洗って、部屋のヒーターをつけた。
俺は、ジュリオのパジャマを借りて――二人で、ベッドで眠った。
夢よりも、信じがたくて消えてしまいそうな現実だった。
もう、二度とないと思っていたような時間が、俺を…………。流れていっていた。
……それはそれとして、小腹がすいた。
「――そうだ。ジュリオ、雪、やんでるよな」
「? はい、まだ空は、曇っていますが……」
「そっか。ジュリオ、浴室にあった、洗濯用の洗面器、持ってきてくれ」
はい、と、ジュリオは?のマークを頭上に出しながら、浴室からアルマイト製の大きな
洗面器をもってくる。洗面器というより、赤ん坊の風呂サイズの平皿だ。
「おう、それそれ。そいつでな、そこの――窓の外のサ、ベランダのところの雪をだね、
うわっつらの、なるべききれいな雪をそいつに山盛り、頼む」
「はい……。えっと、なにを――」
俺は無言のウィンクでそれに答え、パジャマ姿の背中を向ける。
そして俺は、さっき冷蔵庫の中で見つけておいた『もの』と、小さなナベ、そしてガス
のコンロを頭の中で組み合わせていた。
◆
「……あの、これで……?」
ジュリオは、雪がたっぷりと詰められ――てっぺんを、初心者用ゲレンデのように緩や
かに削って平にした、真っ白な雪の器を、テーブルに置いた。
「うん、いいかんじ。ちょっとまってな~」
俺は、香ばしい甘味を立ち上らせているナベを、ガスの青い火の上で揺らす。
もう片方の小ナベは、準備完了し、お湯がはられた別の洗面器の中で浮いていた。
「……こんなもんかな――オッシ」
小鍋の中では、茶色い粘液が、なんかそういう怪奇な生き物みたいな液体が、ぶつぶつ
細かい泡を立てて――次第に、水気が飛んで固くなってきていた。
「さて。……ほい、ちっと熱いのいくぜ」
「はい……?」
ジュリオは、手指を逆の手のパジャマ袖に突っ込みながら、俺の顔と手元を交互に見る。
「たぶん、こーいうことだと思うんだが……失敗したらごめん。――勝負」
「ジャンさん……?」
俺は、片側の注ぎ口が鳥のくちばしみたいになった小鍋を、そうっと雪の上に傾ける。
むらむら立ち上る湯気の下から――
ツツッ、と、細い雫が、スローモーションの映画のように茶色く触手を伸ばしてゆく。
「……あ…………」
ジュリオが、ぼうっとしたような声をあげる。
俺は、かつてないほど集中し――熱したナベから垂らす、砂糖と一緒に煮詰めた蜜を、
メープルシロップのブチ濃い雫を、冷え冷えの雪の上に垂らす。
「……お。いいかんじ?」
茶色い蜜は、雪の上でてらてらと輝き、雪に半分埋まりながら――俺の手の動きで、丸
い形になって…………。
「……うお、しまった、キレねえ。ヘラかなんかいるわこれ」
「あ、あ……。はい」
一呼吸遅れてジュリオが動き、キッチンからスプーンを持ってくる。
そのときには……。
「形は失敗だが――できたぜ、ジュリオ」
「……? これは……」
俺は、ガキみたいに笑って――雪の中から掘り出した、まだ氷片がこびりついたままの
いびつなリングをつまんで、見せる。
「砂糖雪、だったかな。いやな、この前、読んだ本に書いてあったんだよ。山奥で暮らし
てる一家がサ、クリスマスかなんかにみんなで集まったときにコレ、やっててさ」
「……お菓子、ですか?」
「おう。メープルシロップのブチ濃いヤツを煮詰めて、雪で凍らせたキャンデーだな。
――食う? ……こっちは、チョコレート。ちゃんと固まるかどうかはしらねー」
「……ジャンさん…………」
俺から、アメのリングを渡されたジュリオが、ぼうっとしたような声を出す。
「もしか、して…………」
「もしかもくそもねー。……すまんな、しょぼい誕生日おめでとう、で」
「……!! ジャン、さん……!!」
「…………ずっと、気にはなっていたんだぜ。ホント……。だけど、その……すまん」
「え…………」
「――だめだよな、やっぱ」
俺は、自分も気恥ずかしく、そして泣きそうな気分になって――それをごまかして、湯
煎したチョコレートのナベを雪の上で傾ける。
「……あ、くそ、いきなり失敗した。……アメよりやーらけーのな、コレ」
「……あ、あの、おれ…………」
「次は任せろ――……アリガトな、ジュリオ。ここに……つれてきてくれて」
「え……」
「……あああ、またずれた! ――……あのままだったら、俺、たぶんさ――いや、絶対
おまえに誕生日おめでとうどころか、もう……何も言えなくなってたよ」
「…………俺、は……」
「……おし、こんどはできた!!」
俺は、照れ隠しでデカイ声を出して――そして、やっぱり、顔をうつむかせてしまう。
……目を見て、言ってやれない。心臓がバクバクする。
「……やっぱさ、いっくらすれちがって、いっくら会えなくても、言わなきゃだめだよな。
ジュリオ、誕生日おめでとう」
「……ジャン、さ…………」
「それと、ん……大好きだぜ、ジュリオ――」
「――…………」
ジュリオの動きが、呼吸が止まってた。
……クソ、心臓がバクバクして顔あげられねえ。
……ていうか、昨日、体中痛くなるくらいセックスした相手に、何照れてンだ俺……。
「その、さ……。もしかしたら俺たち、もう、さ……。こんなふうにあえないかもしれな
いけど……でも、いやちがう、だから……いわなきゃいけないのに言えなかった……」
「――……………………」
「……会議は延期になったけど、また明日から始まる。俺、なるべくオマエのこと……」
そこまで、俺が言った時だった。
「…………!!」
「う、わっ!? ジュリオ……?」
俺は――巨大な影にさらわれたかのように――いつの間にか、俺の背後に立っていた
ジュリオの腕に抱きすくめられていた。俺が慌てて顔をあげる前に、俺の身体は翻弄され
て……。
「う、っ……く……」
俺の首筋に、頬に、耳元に――身をかがめたジュリオのキスと、顔が、あった。
「……ジュリオ…………」
「……! ……っ、す……みません、俺……なんて、いっていいか――」
フフ、と俺は笑って息を吐き出し……ジュリオの髪に、手指を埋める。
「……こーいうときに、先に身体が動いちゃうの――キライじゃないぜ?」
「ジャンさん…………」
「そうだよな、こーいうのは……キスしながら、いうもんだよな……」
「……は……い、……っ……。ん…………」
「あ……ジュリ……オ……ぅ、ふ………………」
――唇を重ね、熱い呼吸を相手の胸に送り込みながら…………。
「……おっと、チョコ、固まったかな」
俺は、ジュリオの腕の中からひょいと手を伸ばし、雪の中を探る。
「おー、出来たできた。……ほら、ジュリオ」
「あ……。は、い……ありがとうございます。……鳥、ですか――」
「ハート」
「……すみません………………」
◆
1週間後、本部で開かれていた会議が無事、終了した。
NYとフィラデルフィアの客人たちは、あの襲撃事件を受けて、帰途は、予定とは別の
コースと交通を使い本拠地に戻っていった。
それから3日後。
俺は、本部に居るところをジャンさんに呼び出された。
「――お疲れ、ジュリオ。……そっちは落ち着いたか」
「……はい。俺は、平気です」
そうか――
ジャンさんは、カポのコンプレート姿で巨大なデスクに座ったまま、そう言った。
俺は、仕事用のスーツ姿で、その机から10歩ほど離れた正面に、立つ。
俺とジャンさんしかいない、大きな執務室で――
……あのあと、迎えの車と護衛部隊が来て、ジャンさんはこの本部に戻った。
ジャンさんはそこで、連合の客人と会議を開き――俺は、ボンドーネの屋敷に戻って、
財務の整理におわれ……そして1週間が過ぎた。
そのあいだ、ジャンさんからの連絡はなかった。こちらからもしなかった。
そして、俺が本部に戻って――3日後、こうして呼び出された。
「――…………」
俺からは、何も言わなかった。言うべきではない、とわかっていた。
その俺の前で、デスクの上に手を組んだジャンさんが、少し冷たい声で言った。
「……会議は無事、終わった。――前から問題になっていた、ジュリオ、おまえの昇進の
ことについても……決まった」
「はい――」
もう、何を言われても――それを受け止める覚悟はしていた。
「……結論から言うと…………先延ばしにした」
「はい……。…………え……」
「……なんというかさ――」
ジャンさんは、組んでいた手をほどくと、その手で金の髪をくしゃくしゃにして、
「……往生際が悪いと自分でも思うよ。ホント、でも仕方ねーじゃん。もうさ……」
「ジャンさん……」
疲れたように笑うジャンさんに、俺は――自分が死んだ方がいいような気分になる。
「かといって、ダダこねててもラチあかねーからさ。だから、新しいシゴト、いれたぜ」
「仕事……ですか」
「そう、シノギ」
ジャンさんは顔を上げ、指をひょいひょい動かして俺を呼ぶ。
おそるおそる、歩いてしまった俺の目に――ジャンさんの前に広げられた、アメリカの
南西部の地図が映った。
「……カリブ海ですか」
「ああ。……ジュリオ、寒いのと暑いの、どっちがいい?」
「俺は…………」
「まあ、この地図の時点で選択肢はないけど。――キューバだ」
「……キューバ共和国――軍事政権との、シノギですか」
「ああ。もちろん、ほかのヤクザのおまけ付きだ。先日の会議で、東海岸連合も本腰入れ
てキューバに進出することが決まった。リゾート、ホテル、カジノ。エトセトラ」
「わかりました――」
俺は、覚悟を決めていた。
俺の脳髄の奥では、見たこともない南国の景色が、無機質な青い空と海と、不潔なジャ
ングル、腐った政治とくたびれた人々が見えていた。
「もちろん、CR:5もそこに出資したいが……ザンネンながら、うちは中小企業だ。
根本的に予算がねえ。というわけで――」
「……俺……ですか。ボンドーネ家、が……」
「……すまねえ。実際には、役員会の名義で動くことになるが――メインのスポンサーは
ジュリオ、おまえに頼みたい」
「わかりました。すぐ、支度します――」
「まずは下調べの視察だ。出発は、3月の中旬――たのむ、な。
――おまえには、汚れ仕事と、リスクを背負わせることになっちまうが……。
もちろん、うまくいったら利益はジュリオ、おまえのもんだ」
「……はい……」
「そうすりゃ、役員会も、とりあえずはうるさいことは言わなくなる――財務局相手には、
別の手を作らなきゃなんねーけどな」
「わかりました、俺、は…………」
俺は、汗ばんだ手を、強く握る――
あの時の、ジャンさんの言葉が耳の奥で、再び聞こえる
――言わなきゃだめだよな。……と。
「……では――そのシノギは・・・」
「ああ」
「……CR:5幹部、ジュリオ・ボンドーネが――二代目カポの、あなたの命令で執行す
る、ということですね――」
――言えた…………。俺が、まだあなたの、部下だと…………。
「ああ。もちろん」
ジャンさんは、ニコッと――そのカポの椅子と、コンプレート姿には似つかわしくない
いつもの笑顔で、言ってくれた。
「……わかりました。俺、ひとりで……うまく、やります」
「ん……? ――あー。ああ。そうそう、ジュリオ。こっちこっち」
「はい……」
俺は、おそるおそる――数歩、ジャンさんに近づく。
また、指が俺を呼ぶ。俺は、ジャンさんの傍らに――立つ。
ジャンさんは、ハンカチをスーツのポケットから取り出した。
……洗いたてじゃない、何か一度使ったあとのような、ハンカチを。
「――このあいださ、いきなり狙撃されたじゃないか。リムジンを一台パーにされた」
「あ……はい。なにか、わかりましたか」
「ああ。犯人がわかったぜ」
ジャンさんは、口笛を小さく吹いて……デスクの上で、ハンカチを開いた。
そこには……小指の先、何かの果物の種くらいの大きさのものが、あった。
――つややかに黒光りする、流線型の……物体だった。
「それは……?」
「ああ。ぶっつぶされたリムジンを、ルキーノの工場で解体してたらさ。ブチ抜かれた
エンジンルームの奥から、こいつが出てきた」
ジャンさんは、そう言ってその黒い何かをつまみ上げる。
『それ』は、光の反射で青色に、赤色にも……見えた。
弾丸ではない。ありえない――
「それは、いったい……」
「ああ、最初、新型の徹甲弾かとおもってさ――いろいろ調べたよ。そうしたらさ――」
ジャンさんは『それ』を持ったまま、椅子に深くもたれ――天井を見上げた。
◆
「……常々、おまえの幸運は世間離れしているとは思っていたがな――」
「ああ。だけど、こいつは幸運って言うよりは……とんだ災難だったな、ジャン」
本部の地下にある、銃を試射したり何かを解体したりするフロアで、俺はわけわからん
頭をぼりぼりかいて――ルキーノとベルナルドの二人の講義を受けていた。
「……つまり。俺はあれか、神に、天にブッ殺されかけたってことか」
「殺意を証明出来ないけどね。だけど、おおむねそういうことかな」
「ラッキーのツケが回ってきたのさ。命があることを週末に教会で感謝してこい」
「……ふーん、これがねえ」
俺は、アーモンドくらいの大きさの、ツルッとした黒い石?をつまんで、電灯にかざす。
そいつは、黒色の中に、青やら赤やら、キラキラしたいろんな色を閉じ込めていた。
「ボンネットを貫通した角度を見た時から変だと思っていたんだがな。ビルから撃ったに
しても角度が急すぎた。だが……その弾丸が、宇宙からきたんならうなずける」
「いちおう、知り合いの学者センセイにも見てもらった。そいつは――」
――隕石、だった。燃え尽きずに地上まで落ちてきた、星。
「あとちょっとサイズが大きかったら、おまえはリムジンといっしょに木っ端微塵になっ
て地上から消えてたし……もう少し、そいつが小さかったら、誰も見ていない流れ星に
なって何事もなかった、ということだ」
「………………」
「ほんと、おまえは運がいいのか悪いのかわからんよ。隕石がぶち当たるなんてな」
「……ホント、だ……」
「このことは、人に知られたらこっちの正気を疑われる。それに……続けて襲撃を受けた、
ということにしておけば平和ボケの役員会を牽制できるしね」
「じゃあ、このハナシは――」
「そう、ここだけで頼む。俺も、こんなありえない話しに付き合ってられないから明日に
は忘れることにするさ」
「ああ、その石は記念に。ジャンが持っておくかい? 専門家のハナシでは、毒性とかは
ないってことだから………………」
◆
「――隕石……星、でしたか…………」
俺は、ジャンさんお言葉にそのまま頷いて、指先に摘まれた黒い輝きを、見る。
「ああ。なんていうか……俺は自分の運、っていうか、運命っていうかがちょっと空恐ろ
しくなったけどさ……でも、ハラきめたぜ、ジュリオ」
「はい……?」
「あのとき、こいつが俺の足止めしてくれなかったら――俺はあのまま会議に出て、そう
してジュリオのことは人任せにしちまってたかもしれない……だから、さ……!」
「あ…………」
ジャンさんの手が、俺の腕を強く、熱く、掴んでいた。
「俺はラッキードッグだ……!!
だから――こっちの流れは、絶対間違ってない!! 俺はもう迷わねえ、ジュリオ」
「ジャン、さん……!」
俺たちは、ふたりとも何も言わず、身動きもせず、そのまま――
「……ああ、それとさー」
ジャンさんが、先に動いて――
あの黒い星を、手のひらで転がし、それを指でつつく。
「あ……」
「――そう。こいつは、ぶち当たったときかなんかの弾みで……ほら」
その星は、ジャンさんの手のひらで二つに割れていた。
ひびが入って、だがほとんど同じ大きさに、裂けた石――
「こいつ、片方をやるよ。ジュリオ、持っててくれ」
「え……ジャンさん……?」
ジャンさんは、指でつまんで、割れていたその石をまた一つにして……。
「……ぴったりくっつくだろ。いっこのモノが、割れただけだから。
……俺たちさ、この先どうなるかわかんねえけど……こういうかんじで、いようぜ」
「…………!! ……あ、あ……」
「……別れるって、こういうことだよな……。もともと、一つだったんだ、だから」
「はい…………!!」
俺は……その星を、ジャンさんの手の上から握ってた。
――俺は…………ジャンさん以上に、幸運な男だと――やっと、わかった。
「……ジャンさん…………」
「フフ、なんだよ……。手、痛え、ってば……ハハ……」
「俺……! もう、ひとりでも……俺…………」
「……ハハ、ばか。俺のこと見ろ。……俺がひとりじゃだめだってーの」
「……! ……す、み……ません……俺……」
俺は――
「……俺、キューバで……ひとりでも、うまくやってみせ、ます……!」
「おう。……って、あれ。言ってなかったか」
「はい……?」
ジャンさんは、いたずらっぽく――俺に、笑う。
「キューバ視察は、俺もいくってば。初めての土地のシノギだしさ。
――護衛、よろしくな。ジュリオ」
「……!! ……はい…………!!」
END
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